寅さんの商い(啖呵売)





『男はつらいよ』の誕生

「やけのやんぱち日焼けの茄子、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で
歯が立たないよ… ときたもんだ!」劇中必ず出て来る、寅さんの流暢な啖呵売(たんかばい)。 渥美清が少年時代に上野や浅草で見て来たテキ屋の御ぁ兄さんたちが、ごくあたりまえの品物を、 巧みな話術で客を楽しませ、いい気分にさせて売りさばいていた商売手法の話しを山田洋次監督に 話した事がキッカケで『男はつらいよ』が誕生した。 この啖呵売は、昔の縁日や路上販売などで、よく行われており、分りやすいのは"バナナの叩き売り" この話術は、 一種の芸としても評価されており、近年テレビショッピング等で良く見られる 実演販売は、洗練された現代版啖呵売といえるだろう。 また、『男はつらいよ』で寅さんが売って来た商品は、まともなものからバッタものまがい物など 数知れず、言ってしまえば作品の数だけ紹介されてきた。こうした品物を探し出してくるのも 美術美術スタッフの腕の見せどころであるが、よくまぁこれだけの代物を集めて来たものだと、 シリーズを通して観直すと改めて感心してしまう。 寅さんが商品売る際に、枕詞的に述べる口上でいくつか決めのパターンがあり、 それと商品用の個別の文句が組み合わせて売(ばい)を行っている。

その基本的な口上をご紹介すると…

【寅さんの啖呵売―基本形】 「浅野匠頭じゃないが腹切ったつもりだ!ね!どう? こんないいものが2000円!はい、ダメか! 1500円だ1500円!誰も持ってかない? よーし!1000円!!今日は貧乏人の行列だ! よーし!500円だ!持ってけ泥棒!」 「物の始まりが一ならば国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、 泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりが小平の義雄(状況によっては、 客を指差して…このおじさん)」 「産で死んだが三島のお仙、お仙ばかりが女ごじゃないよ。京都は極楽寺坂の門前でかの有名な 小野小町が、三日三晩飲まず食わずに野たれ死んだのが三十三。とかく三という数字はあやが悪い。 三三六歩(さんさんろっぽ)で引け目が無い」 「四谷赤坂麹町(よつや あかさかこうじまち)チャラチャラ流れる御茶ノ水、 粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。 一度変われば二度変わる三度変われば四度変わる、淀の川瀬の水車(みずぐるま)、 誰を待つやらくるくると。 ゴホンゴホンと波さんが、磯の浜辺でねぇあなた、 あたしゃあなたの妻じゃもの、妻は妻でも『阪妻(ばんつま)よ』ときやがった」

【寅さんの売った主な商品と寅さんの口上】

電子応用ヘルスバンド(男はつらいよ)「この電子のツブツブみてえなもんがね… 手首から血管を伝って五臓六腑を駆け巡るんだよ。つまり血行を良くするわけだ、 何となく体がすうっと軽くなったような気がしないかい?」 ・易断本(続男はつらいよ他)「天に軌道がある如く、人それぞれに運命を持って生まれ合わせて おります。とかく子(ネ)の干支の方は終わり晩年が色情的関係において良くない。 丙午(ヒノエウマ)の女は家に不幸をもたらす。未(ヒツジ)の女は角にも立たすなというが…」 ・縁起物の鶴と亀(純情篇)「鶴は千年、亀は万年、あなた百まで、わしゃ九十九まで、 共にシラミのたかるまで…。三千世界の松の木が枯れてもお前さんと添わなきゃシャバに 出た甲斐が無い。七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の林にカヤの屋根、手鍋下げても わしゃいとわせぬ。信州長野の新蕎麦よりも、わたしゃあなたの傍がいい」 ・レコード(寅次郎忘れな草)「船員さん船員さん、お手にとって見てやって下さい。 神田は音響堂というレコード屋さんがたった30万の税金が払いきれなくて投げ出した品物。 札幌の一流デパートに行けば一枚500円で今でも売っている。 今日は特別に協定違反の値段でおわけしましょう!」 ・張り子の虎、虎の絵(私の寅さん)「虎は死して皮を残す、人は死んで名を残す。 私とて絵心のない人間ではない。自分の一番好きな絵は誰にも売り渡したくない。 ましてや気に入らない絵は売りたいわけがない。 いっそのこと我が家の庭にある土蔵の中に 大切にしまっておきたい。しかし、私にも生活というものがある。国には可愛い女房子供が口を あけて待っている。東京では一枚千円や二千円は下らない芸術品だが、浅野内匠頭じゃないが、 腹を切ったつもり…」 ・下駄(寅次郎春の夢)「このグラフに注目されたい。厚生労働省が発表した日本人の身長の グラフでありますが、この赤い線が示すように戦後日本人の身長は外国人としってきするように ドンドンと伸びております。しかし、それに反比例して日本人の体力はドンドン低下している。 これは何故かというと、つまり下駄を履かなくなった事に原因があります。 足の親指と人差し指の間ね、この間に人間の体を司るツボがあります。 ここに鼻緒をぐんと突っ込んで歩きながらグイグイと刺激する。日本人の偉大な発明であります。 俺なんかホラ、365日、年中草履履いているから病気ひとつしたことがない。 ただし、頭の方はよくないが、これは親のせいだから仕方ない」 ・瀬戸物(寅次郎あじさいの恋)「お母さん触ってみなよ、この肌触り、 そんじょそこら辺にある安物の瀬戸物屋の瀬戸物と訳が違う。神田は六法堂というところの 社長が妾との手切れ金で泣きの涙で投げ出した品物だよ。さもなかったら俺なんかの手に入る 訳がない。ね、聞いて驚くな!人間国宝、加納作次郎の作だ!ね、 デパートでもってお願いさたら10万や5万はくだらない品物。今日は私それだけ下さいとは 言わない旅先で金に忙しい…ね。よし、こうなったら2万1万5千円…あーっヤケクソ! 1万でどうだ!」
  物語のエンディング近くで寅さんが売っているものは、劇中に関わったマドンナや巨匠と 呼ばれる人々に関わった物が多く、「寅次郎あじさいの恋」のエンディングでバッタ物の 瀬戸物を人間国宝の加納作次郎の品物だと売っている所に当の本人が現れて再会を喜ぶ…   といった粋なラストになっていたり、「私の寅さん」では岸恵子演じたマドンナが絵描き だった事から失恋しても尚、絵を売って、そこでの口上がマドンナが寅さんにしゃべっていた事 だったりと、可笑しくも切ない啖呵売をしていたのが印象に残る。   また、松坂慶子がマドンナの時に水中花を売っていたり、都はるみがマドンナの時は演歌の カセットを売ったり…と、楽屋ネタが楽しめるのも、啖呵売のシーンの特長であった。   言ってみればその作品の総決算というまとめの位置にあるのがエンディング近くの 啖呵売シーンなのである。
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